序章 初書き込み
霞ケ浦叙景  ルーサダ(霞野仙人)
この春、パソコンが何なのか分からぬまま、迷い込んだのが
この PC−VANナビスクールです
このナビスクールといのがNEC系のあるパソ通スクールの教室でした

私は、ネクタイを寝間着の帯にしてから、こじき同然の風体に
成り下がって霞ケ浦をとぼとぼ歩くのが性に合ってしまいました。
しかし大好きな湖が汚くなって臭くなって逃げ出し、近年では年に3度ほど
北部タイのパヤオ湖に出向きます。あれ?俺は何を言いたいのだろう。

ぐっちがルーサダ(霞野仙人)さんと初めて出会ったのは1997年頃
パソ通スクールの教室に生徒の一人としてふらりと書き込みされた霞野仙人
奇妙な初めての彼の書き込みが、教室でその頃、代理講師まがいな挨拶担当を
していた、ぐっちの目にとまったのでした。
今はルーサダ(仙人さんの第2の故郷タイの言葉でクソ爺)と名乗っておられ
膨大なルーサダさんの文章は、ほとんどその時に書かれた記録です

「霞ケ浦が壊れてしまう」と悲観していた、十数年前
タイの友人から「北部タイには、霞ケ浦に似た湖があるよ」と慰められ、
しぶしぶ向かったパヤオ湖。その舞台で・・
現世利益に明け暮れねば、今日を生き抜く糧を血眼に探さねば、餓死
(少し大袈裟)してしまう女性が、なんの疑いもぜず、確たる目的もな
い私の歩調についてきてくれました。
そして、子供が生まれ、はや3才になりました。

この春、パソコンが何なのか分からぬまま、迷い込んだのが、この
PC−VANナビスクールです。
旅の途中の、恥の書き捨てに似た気持ちで「霞ケ浦叙景」を落書きし
たら、いつもの習性で「素見客(江戸吉原言葉でヒヤカシと読みます)」
の素通りを発揮して、さっさと別の知らない町へ消えるつもりでいまし
たが、皆様におだてられて(本当かなあ)、すっかりその気になり、霞
ケ浦叙景を忘れ、脱線したままパヤオ湖畔の話をながながと綴っており
ました。 ただ今、数ヶ月を楽しく居候させていただき、ただ食いさせていた
だいたような気分に浸っております。
しかし、パヤオ湖畔と題しながら、そのパヤオ湖の風景を、私はまだ
一度も紹介しておりません。
今日、本屋さんを覗き、立ち読みさせてもらいましたが、観光案内書
の類には「パヤオ県」はもちろん「パヤオ湖畔」はみあたりません。
内心ホットしました。
チェンマイの雑踏やチェンライの騒音と違い、静かなたたずまいの古
都パヤオ市とその湖畔。 霞ケ浦湖畔と同様、私の人生舞台の一部に
なったパヤオ湖畔。
何を隠しましょう。今ではパヤオ湖畔を一人占めしたいのです。
こんな素敵な湖を皆様に紹介するほど、私はお人好しではありません。

<追記>

白状しますと、私にはまだパヤオ湖そのものを描く技量が無いのです。
今でも、週に一度早暁の霞ケ浦湖畔を歩きます。ゴミ拾いです。
ボランチァ活動するほど閑はありません。私の仕事なのです。
ありがとうございました。