続パヤオ湖畔・ラオスへ1
タイ国・最北端のエリア・チャンコーン町を目指して、メコン川
に沿って車を走らせます。我が女主人の車も後ろは荷台です。
一族郎党15名が、いつものスシ詰めで我慢しています。
いや、楽しんでいるのでしょう。2時間も3時間も、皆トイレを我慢
しているからです。
しかし、我が娘エミはとてもわがままに育っているので、我慢ができ
ません。「オシッコ!」と叫べば、お姫様に従わねばなりません。
面白いことに、娘の一声を皆が待っている節があります。皆も一斉に
薮に駆け込むのです。
チャンコーンへは船便によるラオスへの国境越えを目的にしています
ので、親族にとっては、先日のミャンマー行きと同様、遠足気分です。
私の所持する資料は、タイ語と英語表示のタイランドの地図一枚です。
・ ・違ウヨ、コレハ、チャンカーン、ココガ、チャンコーン
似たような名前が多いので、よほど注意しないとはぐれてしまいます。
実は、チャンコーン町には合いたい女性がいるのです。
10年前、日本に売られてきた女性の一人で、2年ほど前に四国の
小島から島みかんを宅配してくれて以来、消息が途絶えていましたが、
不法就労で摘発され、強制送還された後、故郷で結婚してガソリン
スタンドを経営していると伝え聞いていました。
日本名を「愛ちゃん」といい、首都圏のとある町のアパート住まいを
している頃のことです。訪ねるときまって2回の窓の落っこちそうな
手すりに座り込んでぼんやりと空を見入っているのでした。
・ おーい!山猿、落っこちるよ!
私の声に、白い歯をむき出して笑うのがとても可愛い娘さんです。
愛ちゃんが国を出るとき持参した、家族と一緒に写したと思われる
写真を見せてもらったときに、その衣装や風景から山岳民族か少数
民族の娘だと見当を付けていました。探すのは楽なはずです。
しかし、徒労に終わりました。記憶にある服装を絵に描いても、この
地方のものではないと言うのです。2軒しかないガソリンスタンドで
も、首を傾げるだけで終わってしまいました。
* 愛ちゃんの英語表示の封筒は私が何枚も書いておいたので
、 チャンコーンを忘れるわけも間違うこともないのですが・・
続パヤオ湖畔・ラオスへ2
タイ国・最北端のエリア・この貧しい地方からは数え切れないほどの
うら若き女性が日本に売られて、或いは円を稼ぎにやってきていました。
PheaengsriSidaroi−et
この英語を読めますか?女性の名前です。
私が、この女性を母国へ帰す手続きのため、入国管理局警備課へ出頭さ
せた際の、本人の名前でした。ラオス系タイ国人で、故郷を立つ前に
妊娠していました。帰国して彼氏に会いたいと泣くばかりです。逆算す
るとまもなく出産です。医者にお願いして出産時期の証明を遅らせて
いただき、何とか飛行機に乗れました。
タイ国ではマレーシア系、ミャンマー系、ラオス系、カンボジア系、
ベトナム系、さらには多くの山岳民族や少数民族から多数派の中国系が
混成していて、どの顔が本流のタイ人なのか、私にはますます分からな
くなっています。それで、わけの分からない私のようなふらつき族が
素知らぬ顔で居られるのも、いもを洗うようななかで目立たないから
かもしれません。
タイ国を理解するには「国境」という概念を知らねばならないのかも
しれません。私がたいした目的もなく国境を越えたかったのは、白状し
ますと日本で接した女性たちの故郷の空気に接したいからだけでした。
チャンコーンは小さな町で時代劇に出てくるような宿場町に似ていま
す。細くて長い渡し舟で対岸に渡るとラオスなのです。
中国領で大雨が降ったのか、異常な増水だとの説明があり、皆は渡る
のにしり込みをします。なるほど、メコン川は、黄河の黄どころか、
真っ赤な不気味な色で流れ、あちこちで渦巻き、流木が逆立ちで見えた
りしています。私だけがおおはしゃぎなのです。
沈没して流されて、カンボジアからベトナムを経て南シナ海に死体が
浮いても本望だ!と後ろを振り返ると、妻子が血相を変えて船の縁に
しがみついているのでした。
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続パヤオ湖畔・植樹
メコン側のほとり。AUG・98‘
アジア大陸の尾根・チベット高原の沢水を集めて南下する川は
メコン川となって、中国の南部でミャンマーとラオスを分かち、
ラオスとタイを隔て、カンボジアを貫通してベトナムで南シナ海
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に流れ込みます。
一滴の湧き水は澄んでいても1メートルごとに黄ばんで、やがて
「苦悩」から血反吐を溶かし込んだように国境を流れます。
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社会主義経済に囲まれたタイ資本主義経済は、大昔からアジア
の奇跡なのかもしれないなあ、とぼんやり見渡せば、メコン側の
ほとりを走る車窓に、裸の山々の斜面が展開します。
対岸のラオスの山も同じだ。カンボジアのゲリラが資金源に多量の
材木をタイに密輸し、その大半が日本の住宅になったと聞いたのは
本当だったのだろうか。気になるところへ私の足は向かいたがる。
どうする。可愛い娘が隣で無邪気なのだ。
どうしよう、といった迷いは、私が私でなくなった証だ。逃げ水を
追いかけているような気がしてくる。 もう、老いぼれてきたなあ。
そうだ。植樹をしよう。パヤオ湖畔の畑の周りにチーク材となる
苗木を植えよう。
15年後、20年後、エミが新築するかも知れない住宅の材木も
自給自足にしろ!と遺言しておこう。
*苗木はランパン県の山岳に行き300本仕入れました。
続パヤオ湖畔・為替
私の全財産はポケットに入る程度です。
今、いくらポケットに現金があるか知りません。いつも無頓着なの
で、あればあったで安心するわけでもなく、なければ水でも飲んで
おくかといった経済観念しかありません。
これでよく五十数年も生き長らえてこられたもんだと、我ながら
自慢したくなります。
それでも心配していることがあります。
円の動向です。為替レートの異常な動きです。
アジア経済は日本のバブル崩壊を教訓にせず、むしろバブル経済を
賞賛して「イケイケ、ドンドン」式に風呂敷きを広げた感があります。
日本経済のシンボルである「円」が下痢を起こすと、アジア経済は
お腹を切らざるを得ません。盲腸なのか腸閉塞なのか私にはわかりま
せんが、雁行形経済として堅実な成長を続けていたタイ国でも、何車
線もある道路工事が至る所で中断しています。
力を蓄積しつつあった中国の「元」は、未曾有の大洪水対策で資本を
消費してしまう恐れがあります。
ロシアは外貨が頼りですから、自由資本主義への意向を示しても
まだまだ、白粉程度のお化粧で、素顔は共産国のままです。
誰かが、何処かで、引き金を引けば、地球規模のビッグバーン!
アジアが気付いて、円を頼らず、日本に対して「レッドカード」を
表意すれば、世界恐慌時代の幕開けになるような気がします。
大半を輸入に頼って維持してきた「円高」
円落の惨めさは容易に想像できます。
今から、覚悟して、心の自給自足を考えておきませんか。
(落ち零れの戯言でした。皆様、すみません)
続パヤオ湖畔・家守
<ヤモリというトカゲ科の生き物について>
熱帯や亜熱帯地方を旅された方にはご理解いただけると思うのですが
ヤモリトカゲ類がやたらといますよね。
木の幹を滑るように走る保護色のヤツから天井の高い寺の屋根裏の破れ
間より、馬鹿でかい奴が見え隠れしていて深夜にグェ〜ッと鳴くのもいて
肝を冷やします。
わがパヤオ湖畔の宿にも、そば粉色のヤモリがいます。玄関口の屋根
裏やシャワー室はもちろん寝室の天井にもへばりついています。
初めてこの宿を訪れた、初夜?の日。シャワーを浴びていたら、
こいつがウロウロしているではありませんか。一瞬、息を止めました。
男の危機を感じたのです。まだまだ大事な一物を食いちぎられたら!と
本当に恐い思いを致し、「床入りの儀式」を前に脅えたのでした。
その後、徐々に理解できたのですが部屋の虫、天井に停まる蚊や蝿を
巧みに捕食してくれる愛すべき家守(ヤモリ)なのでした。
* 家守とは私の勝手な造語で、正確には「守宮」。
私は辞書を引くまで、この漢字を知りませんでした。
続パヤオ湖畔・氏神
<氏神・ここでは、住む土地の鎮守の神と解釈します>
ネームを表意するのに日本では、名字・姓名・名前・氏名と
ありますよね。 なぜ、日本語はこんなに名を使い分けるのでしょうかね。
日本国はパスポート記載に「姓名」を選択して、
姓(surname)と名( given name)に分けました。
ところで、氏名のいわれをご存知でしょうか。
さて、タイの国ではお店にも一般の家庭にも必ず神棚があります。
日本のように先祖様を祭った祭壇ではなく商売繁盛や守護神(仏教)
の神様のようです。
庭の隅には、日本の石灯篭に似た、原色を塗り込み神様を安置した
塔も処処に立っています。
どんな理由かは、まだ聞いていないのですが、義理の母が私の帰国
のたびに、今度来るときには、小さな石ころでよいから、必ず一個
持参してくるように、と懇願します。しかし毎回忘れて、義母をがっ
かりさせているようです。
たまたま、私の実母が死に、故郷を訪れましたときに、実家の氏神
様を石室に覗くと、中にはなんの変哲もない石ころが安置されていま
した。いわれを問いましたが、誰も知りません。
ふと思います。
人が生活の糧を探して、狩猟に明け暮れ、遊牧に転々とした原始時
代から農耕技術を発展するにつれて人間と言う集団を構成し定着しつ
つあった頃、最も大事な儀式は「住む土地の鎮守の神」を祭ることで
はなかったのか。
狩猟も農耕も或いは武器も、最初の道具は、自然が与えてくれた石
ころだったのではないか。人は他に自慢できる石ころを所有すること
で「家庭の安泰」を祈り出したのではないか。そこに氏神信仰が生ま
れ、何処そこの家の氏神は、と屋号が必要になり「氏名」となった。
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私は空想を楽しみながら、さらに日本で栄えた大乗仏教もタイで
栄えた小乗仏教も、両国の自然崇拝や精霊信仰がその成立を容易に
受け入れたのではないだろうかと連想は続きます。
次回、訪タイするときは、ポケットに忍ばせた石ころをお土産に
周囲を安心させ、その石ころを介して、我が先祖の氏神様と異国の
地の守護神とがいかなる因縁を結ぶのか、興味がわきます。
続パヤオ湖畔・1
健全な皆様と違いまして、私がいかに不健全な生き方を貫いてきたかを
告白します。
1.急ぐときもトボトボで歩いて行く 2.保険契約はしない
3.うまいものはなるべく食べない 4.年金のお世話にはならない
5.友達は貧乏神に限る 6.死んでも、医者にはかからない
7.終焉の地は野末のかげろう
かくして、私は故郷から追い出され、旧友を失い、恩師を知らず
ついに、両親のことも念頭になくなっていました。
こんな私を真人間に戻してくれつつあるのが、現在の伴侶であります。
この伴侶は寺小屋式の教育しか受けていず、私が知る常識も秩序も知識も
なく、ただひたすら野生的に純粋に生きておりました。
純粋とは哀しいかな時に無知でありますが・・。
10年ほど前、この伴侶が私の母親に合いたいと言ってきたとき
私は言下に、両親はもう死んじゃって 自分一人なんだと説明をして
おりました。口からでまかせで、一件落着して難を逃れ、再び、故郷
は念頭から消えていました。
子供が産まれた頃のことです。兄貴が私の居所を探し当てて、電報を
よこしました。30年ぶりのことです。その電文を横目で読みながら、
電話で妻と話しをしています。お互いに一日の報告をし合っています。
・ ・今日、あなたの声、違うな、と妻が動物的な感でただします。
私は、一瞬嘘でごまかそうと身構えますが、妻は自らの疑問を納得
するまで追求を止めません。いつものことです。
・ 俺のお母さんが危篤なんだって、兄貴からね・・
私は相手に心配掛けまいと、他人事のように平然と応えました。
・ ・それで、すぐあいに行くのでしょう。
・ いまさら、会う気はないんだ。
瞬間、電話が切れました。しばらくして、妻の友人から次のような
金切り声の電話連絡がありました。
…メイが泣き喚いているよ。お母さんを粗末にするような男とは
一緒になれないって。いないはずのお母さんがいた。こんな嘘吐き
悪魔男とは一緒に生活できないって。
私はこの瞬間、己の意志ではない、まるで夢遊病者のような感覚で
生地・故郷へ向かっていました。
続パヤオ湖畔・故郷2
死の床で、母が笑って私の話を聞いてくれています・・
・ ・私が小学5年生の頃から、幾度となく家出を繰り返し、そのたび
泣きじゃくって帰ってくるのを、お母さんはいつも黙って迎えてくれ
ていたなあ。この年になっても放浪癖が収まらず・・何処かで野垂れ
死にするまで歩きつづけるよ。お母さんの写真はいつも肌身はなさず
ほら、ぽっけにあるんだ。汗ばんで黄ばんで、もう誰かわからんぐら
いにくしゃくしゃになってしまったよ・・
母の危篤が、30年ぶりに父と兄弟にに引き合わせてくれました。。
親父は「まだ、生きとったか」と数十年来この一言だけを言い続け、
私は私で「ええ、お蔭様で」と一言で応え続けています。
親父は口下手をこの一言に託して「他人様に迷惑をかけて生きる
ぐらいなら、腹を掻っ切ってしまえ」と言いたいのです。
不肖のデキソコナイの息子がまだ生き長らえているのに、ほっとして
いるのでしょう。
兄は開口一番、「戸籍謄本でお前の生存を知った。お前は無縁仏に
されていたんだぞ。タイの女性と一緒になって、子供までいるのか。
・・今度は道を外すなよ・・」と幾分か震え声です。
そこへ、ドイツで胸部外科医として大成していると聞いていた弟が
帰国してきて、縁戚の医師らが「あと半年の寿命」を告げたときに、
いえ、あと一ケ月でしょうと言い渡しました。
母は弟の診断どおりに静かになりました。
それにしても、弟の平然とした口調に似合わない、着ている服が何と
もよれよれなのです。
続パヤオ湖畔・故郷3
・ ・・ご心配くださった、よれよれの服の事ですが、私が初めて
ドイツへ行くとき、兄さん(私の事)が5着新調してくださった
スーツの一つですよ。もう、30数年になりますか。5着ともまだ
普通に着てます。当時より太ったので少し窮屈ですが・・
封書には、館というにふさわしい雰囲気のホームを背景に家族の
写真が同封されています。丸々太ったゲルマン民族と思われる奥方
とのっぽに育った子供たちに囲まれた弟が中央にちょこんと座して
おります。
何回も弟の文章を読み返すうち、気がついた事があります。
大事に着ているという日本人的な表現ではなく、普通に着ていると
いう感覚をドイツ気質だとするなら、日本人の顔をしたドイツ人が
いても不思議ではないように思えたのでした。
飛行機がインドシナ半島に入ると、まもなく赤茶けた流れのメコ
ン川が見えてきます。私はまもなく、お袋から開放されるような気
がしています。毎年、新しくする手帳の奥に仕舞うよれよれになっ
たお袋の写真を赤い川に流そうと思い付いたからです。
パヤオ湖畔近く、我が妻子が住む屋敷の、裏に続く畑からは緑の
木々と蒼い山脈しか見えません。
その一画に、草葺きのあばら屋を建て、仙人道場と
名付けました。床は竹を短冊に割り、敷詰めました
----------
壁を板張りにすれば北タイの山岳民族の家になり
竹組みにすればラオスの少数民族の山小屋風
になります。しかし、壁を張るのは止めました。
写真をクリックすると拡大します
アジアの台地チベット高原へ、果てしなく続くかの蒼い山脈を見
入りながら、この仙人道場から弟への返信を思い浮かべています。
・ ・お前が自然の厳しさから生命を守る館を建てたとするなら
私は自然に同化するねぐらを立てた。明日吹き飛んでも朽ちても惜
しくはないが、私にとっては我が人生の結晶のようだ・・。
続パヤオ湖畔・橋を渡る
知らない橋を見掛けると必ず渡りたくなります。
しかし、一気に渡りきる勇気はありません。いつも、中ほどで一呼吸します。
知らない町へ辿り着く興奮と不安が葛藤するのです。
引き返そうか、今なら間に合う、とか思案してしまうのです。
いったん渡りきってしまうと、今度は引き返すのが、とても苦痛になります。
かくして、2回も離別されました。一緒に歩いていることを忘れてしまう
か置き忘れてしまうのです。思い出すとぞーっとします。
長い間、橋に係る私の個人的な嗜好が理解できずにいたのですが、現在の
妻子と接していると、何となく分かってきたような気がします。
引き返すのが楽しくなってきたのです。妻子のもとへ帰れる嬉しさを実感で
きるようになりました。
私が、年に何回かタイと日本を行き来するようになって、感覚が大分変わ
ってきました。東北の方が東京へ出稼ぎに行くような、東京住まいの方が帰
郷するような感覚ですから、私にとってパヤオは外国ではないのかもしれま
せん。だから、外国であるバンコックもパタヤも素通りしてパヤオへ直行で
きるのでしょうか。
現在、単身生活者ですが、遊びで外泊することは「もう」ありません。
掃除洗濯も上手になりました。栄養失調にならない程度の食事も作れるよう
うになりました。ラーメンを食べに週一度外食しますが、自炊生活にもなれ
ました。
誰かほめてくださいませんか。
続パヤオ湖畔・完
「霞ケ浦が壊れてしまう」と悲観していた、十数年前
タイの友人から「北部タイには、霞ケ浦に似た湖があるよ」と慰められ、
しぶしぶ向かったパヤオ湖。その舞台で・・
現世利益に明け暮れねば、今日を生き抜く糧を血眼に探さねば、餓死
(少し大袈裟)してしまう女性が、なんの疑いもぜず、確たる目的もな
い私の歩調についてきてくれました。
そして、子供が生まれ、はや3才になりました。
この春、パソコンが何なのか分からぬまま、迷い込んだのが、この
PC−VANナビスクールです。
旅の途中の、恥の書き捨てに似た気持ちで「霞ケ浦叙景」を落書きし
たら、いつもの習性で「素見客(江戸吉原言葉でヒヤカシと読みます)」
の素通りを発揮して、さっさと別の知らない町へ消えるつもりでいまし
たが、皆様におだてられて(本当かなあ)、すっかりその気になり、霞
ケ浦叙景を忘れ、脱線したままパヤオ湖畔の話をながながと綴っており
ました。 ただ今、数ヶ月を楽しく居候させていただき、ただ食いさせていた
だいたような気分に浸っております。
しかし、パヤオ湖畔と題しながら、そのパヤオ湖の風景を、私はまだ
一度も紹介しておりません。
今日、本屋さんを覗き、立ち読みさせてもらいましたが、観光案内書
の類には「パヤオ県」はもちろん「パヤオ湖畔」はみあたりません。
内心ホットしました。
チェンマイの雑踏やチェンライの騒音と違い、静かなたたずまいの古
都パヤオ市とその湖畔。 霞ケ浦湖畔と同様、私の人生舞台の一部に
なったパヤオ湖畔。
何を隠しましょう。今ではパヤオ湖畔を一人占めしたいのです。
こんな素敵な湖を皆様に紹介するほど、私はお人好しではありません。
<追記>
白状しますと、私にはまだパヤオ湖そのものを描く技量が無いのです。
今でも、週に一度早暁の霞ケ浦湖畔を歩きます。ゴミ拾いです。
ボランチァ活動するほど閑はありません。私の仕事なのです。
ありがとうございました。